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眠っている時間――いま、ぼくのいる場所について
熱帯の夕暮れは気だるげでまるで酔夢のようです。近頃少し涼しくなってきましたが、日中はまだまだ太陽の光が強く、カミュの『異邦人』のように朦朧とした一種不思議な空気が世界を充たしています。けれども午後五時を過ぎると、太陽はふっと溶け出すようにその勢力を失い、ぼくの内部のとろとろとした微熱とちょうど拮抗します。それはやはり酔夢のようにおぼろげで、また曖昧な感覚です。
ぼくはただ歩きます。なんとはなしに部屋でじっとしていることができません。大通りからはソイと呼ばれる小道がのびています。けれどもそれらは行き止まりになっていることが多く、ぼくはしばしば引き返さなければなりません。ご近所さんがハンモックでまどろんでいたり、素っ裸の子どもが水浴びをしていたり、七輪で夕餉の準備をしているデブっちょのおかみさんがしゃがみこんでいたりします。おかみさんは、不審者を見る目つきで無言の誰何をしてきます。ぼくは所在なげなようすを装って、口もとに微笑を泛べ、頭をかいてきょろきょろする素振りを演技します。おかみさんの口もとにも微笑が泛かぶのを確認してから、ぼくはまた来た道を戻ります。
一方、誰もいない
ソイもあります。ぼくはそういった
ソイが好きで、好んでただフラリフラリと歩き続けます。ただ、長い
ソイを誰にも会わずに歩いていると、また夢の世界に迷い込んだように不思議な気分が沸き起こってきます。『世界にはただ独り、ぼくしかいないんじゃないか?』というお馴染みのあの気分。そうやって愚にもつかない気分に浸っていると、不意に遠くから甲高い機関音が響いてきます。そして自作のサイドカーが、荷物を下ろした後で軽快に、甲高い音を響かせてぼくの横を走りすぎます。風。サイドカーが巻きおこした風を写真に撮ってみます。
バラックのような住宅がひしめくあたりを抜けると、不意に葦やセイタカアワダチソウだけが茂る広い場所にでました。いつもはずっと向こうに山々の姿がくっきりと見えます。ぼくはこの場所が好きです。今日の散歩もそのすがすがしい眺めをこころの中であてにして出発したのでした。けれども今日は霧がかかっていて、目の荒いシルクスクリーンで刷ってしまった失敗作のような眺め。
がっかりして歩き出すと、今まで気づかなかった面白いものを見つけました。廃墟だろうか。廃墟化してしまったというよりも、建設途中で放棄されたものかもしれません。向こうに見えるのはレンガで造られた外壁。内部はありません。外壁だけがそこに忽然とありました。赤錆のでたはしごが空虚な窓枠にたて掛けられています。ひどく時間がたっているようにも見えましたが、熱帯の酔夢の中での時間のすすみゆきは、ぼくにはなかなか窺い知れません。
『一週間前にはまだ人が住んでいたんだよ』
誰かがぼくにそういったとしたら、ぼくは疑うことなく、すんなりと信じてしまいそうです。
『一週間ですか。なるほどねえ』
そうこたえるように思えます。うんうんなるほどと、何度も頷きさえしながら。
二日前、
ソイをはさんでお向かいさんの、タイ式の立派なお家で傷害事件が起こりました。ピックアップ式のパトカーが長いあいだ雨に濡れていたのをぼくも良く覚えていました。ぼくの妻が聞き込んできた噂によると、その立派なお屋敷の旦那さんにお妾さんができ、それに激怒した奥さんが拳銃で旦那さんを撃ったとのことでした。旦那さんは警察官でした。「発砲音は聞こえなかったのか?」と妻は何度もぼくに尋ねました。妻の眼は、いつになくギラギラとして、なんだか生き生きと輝いていました。夢と現実が少しずつ混交してきているのを、ぼくはなんとなく感じないわけにはいきませんでした。