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ディヴァガシオン




     当来の人生に対する暗示や、
     生命に絡んだ兆しが、
     作家の気分に融け込んで、
     出て来る物が主題である。――折口信夫


               昨年五月五日になくなった祖父、木村清次郎に捧ぐ

 ――早朝

 なにもご丁寧に google 画像検索窓に『木村カエラ』と全ての文字を入力しなくとも、『きむ』とタイピングした時点で Ajax がおそろしく速やかに反応する。
『掌を開いて目の前にかざしてみよ』とソレは言う。『神はお前の両掌に何本の指を与えられた? サリンジャーやお前の祖父のように多指症でない限り、十一本目の指は存在しないだろう? ならば、おれは十の選択肢を与えてやる。その中にお前の探したい画像は存在するはずだ』
 検索候補を表示させるという隠喩を使って僕に語りかけてくる Ajax はまた、綿密に計算された検索率の正確さでも誇るように『木村カエラ』を検索候補の第一番目に踊り出させる。そのとおりだ! 僕は頷かざるをえない。まったく隙というものがないではないか! 僕は『木村カエラ』の画像がとても見たかったはずだと、本当はそう感じていなかったにもかかわらず、なかば自身に対して説得的なムードを作り出すことに成功している。
 実際僕は、僕の祖父であるところの木村清次郎に関する画像が存在するかどうかを調べてみたかったのかもしれなかった。あるいはキムジョンイルの画像を。『テポドンのお兄さん』と呼ばれる、vivid な黄色い全身タイツを被ったキムジョンイル氏の画像をこそ再度確認したいのかもしれなかった。しかし人類最高の知恵者 google Ajax は『きむじょ』と入力しない限り候補にさえしないのだ。そんなところにすら僕は甚だしい昂揚を覚える。そしてかすかに震える掌に汗を滲ませてマウスをクリックするのだ。午前三時三三分。
 たとえば、画面いっぱいに並ぶ木村カエラのお澄まし顔やら可愛らしい笑顔やらの溢れるページの中段あたりに、
『激裏情報 お宝動画+画像【木村カエラ】瑛太とデキ婚:CM集・過去流出・下積み時代』
 などというあからさまに煽情的な文句でもってタギングされているところの、赤いTバックに映える木村カエラのお尻、おそらくは下積み時代であろう若き日の彼女のお宝画像をのみ僕が助平顔を貼り付けて掘り返し、ただ闇雲にムラムラしたいだけなのだと安直に判断を下してはいけない。たとえその写真が、赤いボンボリを二つ、美しく白い尻のあたりに垂れ下がらせるものであったとしても――そしてその二つのボンボリが、いまだ熟していない青年の真っ赤に恥らった睾丸のごとく僕の眼に映ったとしても、それは(あるいはそれらは!)僕の興味をそれほど惹くものではない。むしろ木村カエラに分類されるところの木村カエラとはおそらくは対極にある一枚の画像によって、僕はこの文章をはじめたいと思うのだ。その画像はページ下部に、ありとあらゆる種類の禍々しさを体現するように刻印されている。それは電動バイブレーターの写真だった。
 もし仮に、ロラン・バルトがこの状況を概観したならば、『明るい部屋』で提出した写真読解に関する自説を大いに頼もしく感じたであろう。事実僕は、この一枚の写真によって名状しがたい痛みを覚えたのだ。彼の主張した写真読解のために欠かせない視点、punctum――プンクトゥムとはすなわち、突き刺された小さな傷のことである。
 繰り返すが、検索ワードに適った木村カエラ自身の美しい写真の群れに紛れ込んだ一点の傷痕とは、バイブレーターがぶざまにお辞儀するような、前のめりの姿勢を捉えた写真であった。電動こけしの頭部、つまり男性器でいうところの亀頭に彫り付けられた顔が木村カエラに似ている、と誰かがブログに書く、その上でバイブレーターの写真を文章に添える、google の検索クローラーがバイブレーター画像を取得し、洗練されたアルゴリズムを使用して電動こけし画像を木村カエラの名のもとにタギングする。その一連の流れは、一人の匿名の人間がふとしたきっかけで「このバイブ、カエラそっくりじゃね?」などとこころに呟いたことからスタートしたことなのだ。しかしもしかすると逆に、木村カエラ本人がバイブに似ているのだろうか? すなわち高級シリコンで作られた薄ら笑いをグルグルと振り廻し、卑猥にウネリ、あるいは胴をクネらせ、または細かく振動する電動こけしに? ……もしもそうであるならば、世界は確実に倒立してしまっている! しかもそこには、僕の祖父の及ぼした影響が、遠いこだまのごとく反響し続けているのだ。
 気づけば甲高い声で小鳥が囀っている、午前五時五五分。ネットワーク空間に息を潜めひっそりと佇む奇跡を、朝靄が進入したかのごとき不明瞭な頭脳で想起する。眠い。そしてひどい頭痛だ。抽斗からパラセタモール500mg の錠剤をふたつ取り出し、噛み砕いて嚥下する。舌や喉に引っかかる苦味は、鈍く旋回する感覚をエコーさせてさらなる眠気を誘った。

 ――昼

 薄曇の、眠るまえよりもずっと暗い昼、目覚めた僕はノートブックの前に坐りさて、と思案する。この小説の題を僕は、マラルメから『ディヴァガシオン』と名づけた。ディヴァガシオンとは、「彷徨すること」とともに、狂人の発する「妄想の言葉」をも意味する。僕は端的にこの掌編を彷徨させたいと考えたのだ。またあわよくば妄想の言葉をも語らせたいと願った。しかしそもそも僕は狂人たりえるだろうか? それはありえない。たとえ僕がふとしたきっかけで十一日までに最低十五枚の文章を書く約束をしてしまい、後悔の念に悩まされながら不眠の夜をすごし、耐え難い頭痛に苛まれていたとしても、根本的に凡庸なる精神の所有者たる僕に神聖な狂気は接近してはくれないだろう。ならばこの小説は、産声を上げた途端に大切な両義性をすでにもぎ取られ、ただ漂うことのみをその運命として受け入れざるをえないことになってしまう。まさにあてどなくほっつき歩くことだけを運命付けられているのだ。それではこの文章はすべてに於いて無駄なことなのか? けれどもマラルメはこう断言するのだ。
「世界は一冊の書物へと到るためにつくられている」
 もし事実われわれの生きるこの世界が、たった一冊の書物へと到るためにのみ必要とされているのならば、僕というこの詰まらない存在でさえ、その途轍もなく大きな本に書き込まれるべき極小の細部であるとはいえないだろうか?
 僕はさきほど、木村カエラの顔に似ているバイブレーター画像から、この小説をはじめたいと書いた。また僕は、電動「バイブレーター」と電動「こけし」という二つの言葉を意図的に混用した。そろそろディヴァガシオンたる「あてどないほっつき歩き」を再開するにあたり、その道程の描く円環よってプンクトゥムたる極小の時間を精確に切り取りたい。またそれによってなんらかの意味を付与したいとこころから願うのだ。またなし得る限り正確に語ることさえできれば、それがいかに拙いものであろうとも、この現実世界に存在する無数のプンクトゥムのひとつ足りえる権利だけは持つだろうと希望する。現在、午後三時三三分、建築作業の音がけたたましい。深夜、木村カエラの画像を眺めていた地点に時計の文字盤上では戻ってきたわけだ。しかしまだ半日! これからは逆向きにバイブレーター側の円環を辿ることにする。うまくいけばその歩行によって文字盤が時計から脱落し、時間は時制へと移行するだろう。

 男性器を模した張形を――つまり『動かない』模造ペニスを――だれが? いつ? どこで? はじめて作成したのか? ということについては、じつはまったく分かっていない。有史以前からすでに存在していたために記録に残っていないわけだが、しかし何のためにどういった目的で、といったことについてはある程度に於いてかなり明確になっている。おそらく性具として使用されたこともあっただろう。好奇心の強い貪欲なる女性器に潜りこむことがたびたびあったであろうことは想像に難くない。が、そもそも貪欲な女性器とはさまざまな地方の神話や叙事詩(『一部落の住民すべてを自分の女性器に寄生させる巨大な女』ナイジェリアの民話、『天地を修復し、人類を起こした女媧』古代中国神話、『林檎を食べ、尻から竜を出し、全世界を呑み込む女』キルギスのマナス)にみられるとおり宇宙をも呑み込むほどの存在であり、ならば張形一本呑み込むくらい造作ないこと――当然といえば当然のことといえる。それはすでに使用目的などという一般性を適用する行為とはまったく相容れない。基本的に古代における張形は、呪術や信仰に於いてもちいられるものであったといえる。
 ヒンズーのシヴァ神が、しばしば性交中のペニスを模したリンガと呼ばれる形で表象されるとおり、古代に於いて男根は創造性を司る偉大なる神であったのだ。
 僕は以前訪れたアンコールワットに於いて、現地添乗員に付き添われた(現地人よりも真黒な肌をした)十七、八歳の日本人女性らの一団がこう高らかに叫びあったあと、続いて僕に起こった幸運な出来事についていまも明瞭に覚えている。――もちろん添乗員の心底うんざりとした表情とともに。
「なにこれ? ちんこ? マジで?」「でかすぎだって、ちんこってだいたいんーこんなもんだよね?」「ぎゃははタケシってそんぐらいしかないの? 超ウケる」「ムカつく」「ぎゃはは」「ってこれクジラとかのじゃね?」「ありえる」「ねーよ」「なんでクジラのちんこがこんなとこあんだよ」「マジウケるアーシさっき一瞬信じたよ」「は? なんですかあ? ちょっと静かにしろって添乗員のおっさんなんか言ってるってマジで。は? GOD ? GOD ってなに?」「お笑い番組じゃね?」「はい? なに? 神? マジ! がはは! つかありえなくね? なんでちんこが神なわけ?」「ちょーウケる」「でかいから GOD なわけ?」「は?」「つーか GOD だからでかいんじゃね?」「彼氏の一万倍くらいでかいんですけど?」「ってかちょっと待って待って、待って! もし彼氏のちんこ、こんなだったらどうするよ?」「ウケる」「死ぬ」「切る」「けずる」「ぎゃははは」「つかサユリちょっとまたがってみろって、入るんじゃね? マジで」「記念記念」「練習練習」「GOD とやれるんチャンスじゃん」「ぎゃはは」「は? ありえないっつーの入るわけねえじゃん。つかマジ MAD」「ぎゃははは」「なにそのドヤ顔マジきもい」「いまアーシうまいこといったじゃん」「ぎゃはははは」「つかおまえら英語ペラペラすぎるって、 MAD ってどういう意味よ?」「は?」「えぇぇぇ」「さっき一緒に笑ってたじゃん?」
 彼女達は遺跡を巡るツアーには似つかわしくない腿の辺りまで覗く短いスカートを履き、踵の尖ったミュールで石畳の上を高い音を響かせて闊歩していた。僕はある予感に囚われ、傾斜角度およそ六五度で壁のように屹立したアンコールワットの階段を転がるように降りて待機した。首の痛くなるほどにも階上を見上げる僕に向かってようやく彼女らは姿をあらわし、石段をおぼつかない足取りと恐怖の影響による高笑いとともにゆっくりとゆっくりと降りてきた。そう、ゆっくりとゆっくりとさまざまなスタイル、色、食い込み具合を誇示する、汗でじっとり湿ったパンツを見せ付けながら。シヴァは僕を見捨てなかった。男性器は神であることをまことに実感した瞬間である。もちろん、ポケットに左手を突っ込み湾曲した僕の荒ぶるシヴァを押さえつけながら。
 わが国日本に於いて文献としての資料に登場するはじめての張形は、七世紀に遣唐使が持ち帰って大和朝廷に献上した青銅製のペニスである。これももちろん呪術的な意味合いを持つものであったはずだ。しかし、宮の女官なりなんなりが、湿って熱く疼く女陰を、ひんやりとした硬い青銅製の男根でもって密かに冷まし鎮めたことが皆無だったとはいえないだろう。
 けれども、ここでもっとも重要なことは、唐で作成せられ、海を渡り朝廷に献上された当の張形が『キム』という名の朝鮮系鋳物職人であり呪術者でもあった男の手によるものだったことである。『キン』『キネ』『キヌ』など諸説あるが、現在もっとも有力なものはやはり『キム』である。また、一二〇〇年余りのちに、世界初の電動バイブレーターの開発に携わった実在の人物が、『木村』という苗字を持っていたことも重要だと思われる。それは右に引いた二つの名前『キム』『木村』が、google Ajax によって木村カエラの笑顔とバイブレーター亀頭部に結び付けられ、まるで虚構の出来事のように現前しているためだ。しかしこれは虚構ではない、すべて事実である。そうであるならば、僕はこの現実をいかにして虚構から救い出すことができるだろう。
 ……夕刻、小雨、午後五時五五分、『木村』が左手に六本の指を持っていたのを思い出すと同時に、時刻は午後六時ちょうどをさす。

 ――夜

 何をおいてもまず資料にあたることだ! 事実の集積こそが肝要だ! 僕は発熱した頭ではじめそのように考えた。事実はそれすなわち現実ではないか、と。しかしそれは誰もが知っているように誤りなのだ。事実を幾ら集めてみたところでけっして現実の実相は反映しない。あるいは、事実を感得する者の数だけ現実はさまざまに姿を変えてたちあらわれる。その証拠に、目前の事実に没頭する余りそこにないものを幻視してしまった科学者の数は、歴史上枚挙に暇がないではないか。極小の世界を顕微鏡で覗きたいという慾望に引き摺られるままに、自分の精子を来る日も来る日も観察しつづけたレーウェンフックは、結果いったいなにを見つけた? 彼は精子のなかに極小の小人を発見してしまったではないか! 望遠鏡で観測した火星の地表に、とうとうと流れる雄大な運河を発見してしまったローウェルもまたしかりだ。彼らはすぐさま狂人の烙印を押され、近しい人達からは冷淡に距離を置かれるようにはならなかったか? 多大なる業績のみを後世に伝え、レーウェンフック賞なるものを創設しさえしたが、小人の発見についてはみな知らぬ存ぜぬと口を噤まなかったか? あまたの時間、あまたの場所でふいに虚妄の影はたちあらわれてきたのだ。もちろんわが日本に於いても幻視者は存在している。一九九六年イグ・ノーベル賞を受賞したおそるべき幻視者たる岡村長之助は、医師でありまた古生物研究者でもあった。『人類および全脊椎動物誕生の地――日本』のなかで彼はなにを発見したと主張したか? 岡村長之助の発見した驚くべき化石には、0.7mm の大きさの『毛皮の帽子を被り衣服をまとい小走りに走行中のミニ女性』や、0.8mm の大きさの『大地震に当たり、幼児を抱いて海中に転落し、安全地帯を求めて浅い処を徒渉中、追討の土砂に瞬時に埋没、そのまま死亡して後化石となったミニ父子』が含まれていた。いや、含まれていたどころではない、ミニ王女、ミニ恐竜……溢れんばかりのわれわれの祖先たるミニ人間ら、ミニ動物らの化石化石、化石の氾濫であったのだ。
 のめりこんではならない! 僕は自分を叱責しながらも最低限の資料のみにとどめる努力を必要とした。
 しかし電動バイブレーターについては、あまりに膨大な資料が存在したのだ。しかもそれはさきほども述べたように、製造業でGDP世界第二位の地位に一度は上り詰めたこの日本で開発されたのであるから、参照できる日本語の文献にもことかかなかった。その上、僕の場合はそれだけではない、後に述べるが個人的な生活を綴った日記のたぐいまで手にしているのだ。
 世界初となる電動バイブレーターの開発はチームを組んで進められた。が、じっしつチームのリーダーだった男が率先して開発に当たった。繰り返すが、その人物こそが木村である。木村は立派だった、たしかに素晴らしい製品を残した、けれども木村がもしあなたの肉親であったならば、どういった心持ちを抱くであろう。僕は複雑な気持ちにならざるをえない。賢明なる読者はすでにお気づきだろうが、木村は僕の父方の祖父、木村清次郎その人であったからである。地球上ではじめての電動バイブレーターを開発し、世界中に男根の複製をばら撒く機縁を作った男の孫である僕は、なにやら理由のわからない誇らしい気持ちと、うしろめたさの入り混じった感情を抱くのである。
 木村がこの世に生み出した世界初のバイブレーター――商品名『ニューハニーペット』は、昭和三六年にマッサージ器として発売された。しかし、なぜ世界で始めてのバイブレーターにニューという冠がつけられたのか? ニューヨークは、ヨーク・アルバニー公がいてこそのニューである。そもそもハニーペットが存在しない限りに於いて、ニューハニーペットはその存在の根底が揺らいでしまう。しかしその疑問の解消も実際はあっけないものだ。ハニーペットは存在した。……発売されることはなかったが、祖母の子宮のどこかに。
 経緯はこうだ。木村ははじめ自身の陰茎で型をとり、現在一般に普及しているバイブレーター同様、亀頭部分をクネらせることを考えた。しかし薬事法により性具の販売が困難であることはあらかじめわかっていたので、それを人形として販売することにしたのだった。つまりこけし人形として販売することを考え、亀頭部分に顔をつけたこけし型の状態で試作を繰り返した。しかし結局、ハニーペットは三年に及ぶ試作段階で商品化が困難なことが判明した。耐久性に著しい問題があったためだ。木村の妻、つまり僕の祖母は身をもってその脆弱性を体験したただ一人の女性である。
 昭和三三年のある日の昼、ふとした好奇心から木村の妻は、夫が持ち帰った沢山の試作品のうち一本を選び、念入りに消毒を行った後、自慰を行った。モーターの音が甲高く響くため、新しく買ったばかりの電機掃除機で消音しての自慰である。なんなく絶頂に上り詰めたのだが、いざ引き抜いてみるとこけしの頭が見当たらない。どうやら膣内にて脱落した模様だ。木村の妻は指を差し入れてみた。爪に固いものが当たった。よし、と掻き出そうとすると、するり遠くに逃げる。指をもっと奥に差し込む、触れる、するりと逃げる。上気して汗までかいていた顔が途端に真っ青になった。もう指では届かない距離である。妻は壊れたこけしの胴体部分を念入りに新聞紙で包んで捨てたあと、菜ばしなどで試みたが、ますます奥へ奥へと押し込んでしまうばかり。すぐさま隣町の産婦人科まで転がるようにして出かけ、恥を忍んで理由を打ち明けた上で検査してもらった。が、なぜだかこけしの頭は見つからなかった。帰り道、彼女は自身がパジャマ姿であることに気づき驚愕したのだった。
 結局、木村の妻はこの出来事を夫に打ち明けることが出来ず、子どもが出来ないのはあのこけし頭のためだと考え一人苦しんでいたのだった。それらすべて祖母の日記によって、僕ははじめて知ることになった。

 ――過日

 日記とはそれをつける人自身の記録であるというよりはむしろ、それを書いた本人とまわりの事物との関係性の記録である。また書かれた年月日を併記することによって、そこにあった過去の特定の時間を、あたかも化石のごとく紙の上に定着させる。なぜだかそれはいつも僕にある特定のイメージを呼び起こすのだった。
 壊れて動かなくなってしまった時計を、幾つも幾つも、それこそ壁いっぱいにかけ続ける祖母の姿だ。僕はわずかに凹凸の感じられる古びたガラス面を丁寧に拭って、何時何分でその時計が止っているのかを、丹念に確かめずにはいられない心持ちにさせられる。
 昭和三十年五月五日から平成二年二月二日まで、日記は一日も途切れることなく続いた。ノートの数はもちろん膨大なものであったが、奇妙なのは祖母の書く日記の文体が、当時としてもおそろしく古風なものであったことだ。しかし日記の中に書き込まれる小説や詩の感想を読むうちに、僕にもおよそのことを察することができた。おそらく彼女は古風な文体で書かれる文学作品を愛していた。その文体模倣であろう。あるいは、もしかすると僕と同じように祖母もまた、作家になることを夢見ていたのかもしれない。同じ夢を見ていたかもしれないとの連想は、僕の中でいつしか動かしがたいものとなり、そしてたびたび、なにやら自分でも不分明な気分に陥ることがあった。文章を読むことに促されて僕の脳裏に浮かびあがる祖母の姿が、美しい文学少女めいたものに変わりつつあったのだ。
 想像の裡なる若き彼女は静かに、そして姿よく坐っている。眉間に小さな皺を寄せ、美しい唇で詩の一篇を呟いているところだ。穏やかな時間の中で、僕はただ彼女の口ずさむ詩を聴き、また後れ毛のかかった白いうなじをのみ見つめている。けれども突然、何かに怯えるように肩を震わせて彼女は書物から視線を上げる。長い睫に翳った美しい瞳が不安げにこちらを覗う。けれどもその瞳は、僕に気づいた途端にほっとした色に溶け出し、ぼんやりと崩れて微笑むのだ。そこには僕の足元を揺るがすような、不安を呼び覚ます不確かな霧が漂っている。おそらくその霧は僕自身の慾望だった。エロティシズムだった。

 祖母嘉代子、昭和三七年初頭から僕の父の誕生した五月五日付けまでの日記から引用、旧かな文字は新かな文字に改めた。適宜注釈や感想を( )内に記す。また出産の翌日、五月六日、祖父は長男の顔を見るよりも先に指の数を幾度も数えたのだそうである。祖母が五本ですと繰り返す言葉に頷きながらも、自分で確認せずにはいられなかったようだ。

 ――一月七日、夕飯の支度もせず時を忘れて読書し居る。夫の声のみ帰宅す。驚きの声にて問いかけて寄こすに、「どうしたんだ? 体調でも悪いのか?」声に驚かされ我に返り室を見渡す。すでに暗くなり居り。前屈して書物に頬を摺り寄せるがごとき読み方にて、腰の痛みを覚える。窓から差し込む水銀灯を頼りに読書していたようす。われながら苦笑を漏らすと、蛍光灯、五六度点滅したのち夫の躰も帰宅す。「おかえりなさい。」

 ――二月一九日、「まるで親の敵でもとるようだね、おまえの読書するのは。」との夫の言葉に応えて、「ある意味で親の敵なんです。」と吹き出しながら応える。身を乗り出した夫に、「私の父親は、女なぞ勉学するものじゃない、女の学問は足かせにしかならんと言って、本一冊、ノート一冊渋って渋ってやっと買ってくれるようなありさまだったんです。」と続ける。「学校の図書室でよく本を読みました。反対されたからこそ、逆に好きになってしまったのかも?」夫もつられて笑う、なにやら、安堵する心持ちの込み上げる。夫笑いを納めて曰く、「堅物な親父さんだったんだねえ。」その言葉、自身を新しき男とするごとき意味合い皆無なり。またなんの衒いも含みもなく、ただただ素直な音のみで構成さる風の音色なり。甚だ気持ちの良き言葉なり。「あなたはお厭じゃなくって?」と問う私に、「どうして?」と眼を丸くし居り。これも甚だ気持ちの良き態度なり。「しかし、もうおまえだけの躰ではないのだから、気をつけなくてはいけないよ。ゆっくり休むことも大切なことだから。」これもまた甚だ気持ちの良き優しさなり。

 ――三月二一日、近頃気になって居りしこと、確認することを得る。夫、毎朝必ず五時五五分に出立す。朝食時、柱時計を気にし居るを新婚当時から知るも、その意味を知らず。先日、ガスの使用を勧めし際、夫曰く、「料理は七輪でつくるから良いんだ、炭で焼くなり煮るなりするからこそうまいんだ。」尤もなり。が、引っかかるもの残れり。夫の声調に七を強調する響きありため。そのことに気づくや否や、夫、兼ねてより数字に拘る赴きあることに思い至る。強迫観念のたぐい在りし模様。その日より、私も夫の視線と数字、ことに時刻に注意する。今日も夫、機嫌よく出立、五時五五分なり。(指折り数えるといった言葉があるように、指と数は密接な関係を持つ。おそらく幼少時代から祖父は数字に敏感だったはずだ。結婚したばかりの頃の祖母の日記に、一度だけ六本の指についての記述がある。祖父の第六指は小指の外側にあり完全に動いたのだが、祖母は「便利とは見えず、さりとて不便とも見えぬ。しかれども私とは違い、私と同じだなどとは口が裂けても言えぬ。失礼に過ぎる。」と書いていた。僕には祖父の六本の指についての記憶がない、隠すような素振りもなかったはずで、おそらく自然に見えていたのだろうと思われる)

 ――三月二八日、おそらく地震があり。夫婦二人して同時に天井を見上げる。照明器具より下がりし紐を確認するためなり。けれども紐すこしも揺れず。ただただ見つめ居るうち、紐揺れているようにも眼が錯覚す。視線の揺れか紐の揺れか判断つかず。「地震?」私、眼を照明器具に据え置いたまま問う。「どうだろうね?」夫も同じ姿勢で問い返す。「紐揺れていませんよねえ、たぶん。」二人はそのまましばらく動かず。すると夫、淡々なる声で「二人とも見上げてるんだから、揺れたんだろうねえ。」夫の呟きし言葉に私は笑い夫もまた釣られて笑う。

 ――四月二三日、出産近し。夫の強い勧めによりて名古屋の実家へと戻る。例のこけし頭の不安あるため、念のため港北病院にて再検査を行う。が、やはり見つからず。こけし頭よ、汝はいずこへ行きしぞ?
(次に挙げるように、僕の父は五月五日、港北病院に於いて誕生した。父はまず接続不良によって外れてしまったこけし人形の頭部、すなわち試作品である電動こけしの亀頭部分を、己の頭で押し出してからこの世界との事実上の対面を成し遂げ、高らかに産声を上げたのだった。しかし、こけし頭は祖母の体のどこに潜んでいたのであろうか?)

 ――五月五日、長男出産。院内の産婦人科医足らず、馴染みの岡村長之助医師立会い。医師の告ぐるに出産、明け方の五時五五分とのこと。おそらく夫、三和土で靴を履き居る時刻なり。不思議なる心持ちす。兎に角、喜びひとしお。積年の悩みも一挙に解消せらる。岡村医師驚きて問いかけるに、「こけしの頭がどうして?」私は笑いをこらえるに懸命なり。が、医師のかねてより独り呟きたまえるミニ人間こぞりて、ひそかに入れられたやも知れず、などと滑稽なることを話す。医師頷きて曰く、「大いにありえることですよ、お母さん。なにせアヤツら大のいたずら好きときているんですからなあ!」はじめて呼びかけられる「お母さん」なる言葉、私に向けられるものと感得するに数秒を要す。その響きの持つ驚きと嬉しさに促されたのかどうだか。なぜだか知らず、ミニ人間の存在を信じそうになれり。そも股座からこけし頭の転がり出たならば、以前の私なれば赤面していたはずなり。吹き出すのをこらえるとはいったい何事ぞ。そこまで思い至りてはじめて母になれることを実感す。岡村医師しばしば私のいる相部屋を訪れ、以前にもまして熱心にミニ人間の話をされり。蝦夷地にはコロボックルなる小人の住む旨私に幾度も繰り返される。が、むしろ私よりも隣の寝台に横たわる母に付き添える佐藤暁君、小学五年生、熱心に大きな瞳を輝かせて拝聴せり。医師これを大いに喜びて佐藤君と十年の知己のごとくなれり。佐藤君曰く、「僕、大人になったら、コロボックルの話を本に書きたいよ。」医師また大いに喜びて盛んに励まし、すでに題名も相談の上出来あがりし模様。書物の題を問えば二人声を揃えて曰く、「『だれも知らない小さな国』に決まりました!」将来この手に佐藤君の手に成る書物を持ち、長男とともに読み耽るさま瞼の裏に見る。先程、夫より電報の届く。文面、アスユクマッテオレアリガタウ。はじめて休暇をとり、はるばる名古屋まで駆けつけてくれる。明日会えば、開口一番「お父さん!」と呼びかけて嬉しく驚かせてやろうとこころに決め、忘れぬよう左手の甲に、父、と書く。長年私を悩ませ続けた例のこけしの頭、岡村医師の是非にと勧められるままに、いまも枕元に保持す。それまるで阿弥陀仏のごとく微笑み、大いに祝福されし心地。見れば見るほど我が子と瓜二つなり。幸福なり幸福なり幸福なり。

< 了 >

二〇一一年一月一一日




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