×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

CMClose

TweetClose

FictionClose

DiaryClose

Article

宙返りする矛盾――大江健三郎『宙返り』について




 今日は小説内にある矛盾が持つ遊戯性ヽ ヽ ヽについて書いてみたいと思います。
 小説を読んでいて、矛盾点が出てきた場合、ぼくたちはすこしばかり立ち止まってしまいます。自分の間違いだろうか? そう考えてページを戻し、確認する人もいるかもしれません。やはり矛盾している。どうしてだろう? そういった時、ぼくたちが確認できることは、実はそれほど多くありません。不注意な読者なら、作者のミスとして切り捨ててしまうでしょうし、またもちろん、小説の登場人物や世界観において、作者が意図的に矛盾を盛り込んでいる場合もあります。登場人物がをつく場合、また世界が矛盾をはらむものとして意図的に記述されている場合など、さまざまな場面で考えられます。
 カズオ・イシグロの小説の登場人物は、よくをつく人たちが登場します。ぼくたちはだ、ということは確認できますが、本当がどうだったのか、ということについては基本的には知り得ません。その上、登場人物が事実を知っていて嘘をついているのか、誤って認識しているために、結果的に嘘になってしまっているのか、ということさえ、ぼくたちには知り得ない場面がたびたび登場します。
 つまりミニマリストがしばしば使用した「信用できない語り手」ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽという手法に近いものだと思います。
 また矛盾は両義性という意味合いで使われることの多いアンビギュイティーという言葉の持つもう一つの重要な側面に深く関わる問題でもあります。すなわち曖昧さというものをリアルに表現した形態だともいえそうです。つまり両義的ですらないヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ、曖昧模糊として掴みどころがない、ということです。ぼくたちは実際の社会で、彼または彼女が嘘をついていることは、わかる。しかし、本当はどうなのか? ということはまったくわからない、そういった場面にしばしば遭遇します。小説の登場人物が、ぼくたちの知人である彼または彼女に、直接シンクロする形で、またはオーバーラップする形でリアリティーを帯びはじめる。そういった経験をとおして虚構と現実が切り結び、ぼくたちの生活を侵食しはじめる。
 カズオ・イシグロについては、また機会があれば書いてみたいのですが、今回はぼくたちが知り得る、あるいは確認できる矛盾を非常に知的に使用していると思われる大江健三郎の『宙返り』についてです。
 さて、ぼくはもうすでに二年のあいだ小説というものを書いてきました。全く進歩が見られないにもかかわらず、同じことどもを飽きもせず何度も繰り返し書いてきていて、時にはその不毛さにぼく自身ほとほと呆れ果ててしまいます。またその逆に、その無駄を無駄と知りながらも生産せざるをえない、おそらくは人間の持たされた一つの雛形、精神のタイプといったものに――自己嘲弄的な意味合いも込めてということですが――ある種の感銘を受けとることもあります。
 ぼくが小説を書く際、かならず立ち戻る地点として、大江健三郎の『宙返り』があるのですが、この小説の持つ魅力に少しでも近づきたい、というのがぼくの創作の動機付けであることは間違いありません。
 全体としての『宙返り』については、優れた論文、批評が実証主義的立場、テクスト主義的立場ともすでに存在していますので、そちらを参照してください。ぼくはそういった学術的立場でない――やろうとしてもできないということです――凡庸な一人の読者として、気になった、あるいは気になリ続けている部分を以下に短く記したいと思います。
 この小説の数あるテーマのうちの一つは「新しい人」についてです。聖書の記述に二箇所ヽ ヽ ヽしか「新しい人」という言葉が出てこない。それは偶然、知的に障害のある森生(この森生という名前も、かなり面白い名前です。ラテン語のmori、すなわち「死」にも「白痴」にも通じるものと、「生きる」が合わさっています)という登場人物によって、啓示されるという形をとって見出されたものである。そういった、かなり神秘主義的な記述があるのですが、ぼくはその部分にとても惹かれました。
 そこに至る過程、またそこから広がる展開はとてもスリリングなものです。すこし引用します。

 やっと発熱の始まりの夜の問答を思い出した。すぐに私は、案内人ガ イ ドの聖書を調べてみたのです。爪の跡のついているところを探すと、二箇所あった。そこを丁寧に読んでみると、どちらにも「新しい人」という言葉が出てきます。そこで重野夫人に確かめたのですが、旧約、新約を問わず、それは聖書に「新しい人」という言葉が出て来る、ただふたつの箇所だということでした!

 ここで重要なのは、『旧約、新約を問わず、それは聖書に「新しい人」という言葉が出て来る、ただふたつの箇所だということ』です。奇跡的な場面であり、とてもワクワクさせられる偶然です。
 しかし、小説には記述されていませんが、聖書に出て来る「新しい人」という言葉は、実は三箇所ヽ ヽ ヽあるのです。コロサイに二箇所とエフェソに一箇所。
 ぼくはホテルに宿泊した際、そこにあった聖書を拾い読みしていて偶然から見つけたのですが、もしそういったことがなければ、一生気づかなかったかもしれない。そう思うと、なんだかやはり不思議な気持ちになります。
 また、プラトンの『饗宴』について登場人物たちが話をする場面があるのですが、ここでも踊り子ダ ン サ ーという重要な登場人物が、アリストファネスが語った話をソクラテスが話したこととして会話をしています。プラトンは『饗宴』のなかで、登場人物に誤った神話解釈をわざとヽ ヽ ヽさせているのですが、大江健三郎もまた、登場人物にあやまった事実を語らせているのですね。
 『宙返り』は矛盾に気づかない時点でも、じゅうぶん過ぎるほど刺激的な読書体験を与えてくれる小説なのですが、矛盾に気づき、その意味を探っていくという作業は、あらためて読書の楽しみを教えてくれるものとなりました。
 見えなかった矛盾が宙返りヽ ヽ ヽして突然眼の前に現れ、また見えた矛盾がふたたび宙返りヽ ヽ ヽして止揚される過程は、遊戯的にもとても楽しい経験です。

< 了 >


LinksClose

Jyun-bun

純文学専門サイト
≫≫≫ 純文学小説投稿サイト―jyunbun

Short Story

小説、詩、エッセイ等
≫≫≫ - 小説投稿サイト-ShortSTORY

坂口安吾

坂口安吾専門サイト
≫≫≫ 坂口安吾のすべて

PHP掲示板

PHP掲示板ダウンロードサイト
≫≫≫ PHP掲示板ダウンロード無料

はらいそ

るさんのブログ
≫≫≫ はらいそ

相互リンク

リンクしても良いぞって奇特な方、ぜひぜひメールください。
chouchoutosensha(atmark)gmail.com

チェンマイの焼肉・シーフードバーベキュー専門店・木乃屋

チェンマイの焼き鳥・やきとり専門・とり屋

チェンマイのレンタカー・レンタルバイク

Car rent and motorcycle rent in chiang mai